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tampaku

ブログをこちらへ引越ししてきました。 教育現場で感じたり思ったこと、 ニュースに対する考えなどを書き綴っていきます。 当面は、過去のものをアップしていきますが、 随時、書いていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします♪
絵を描くことが大好きです。図画・工作の授業は、こちらが楽しんだ感じです。 学年・学級通信の挿絵も自分で描いた物を使っていました。制服や体操服など、学校に合わせた絵になるので、保護者は勿論、おじいちゃん、おばあちゃんまで読んでくれます♪ イラストACさんで、無料でダウンロードできますので、印刷物を作るときには使ってみてくださいね☆

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教育・学校ランキング

出産・子育て Feed

2017年3月22日 (水)

いいじゃん、別に。

■盗撮教諭の免職取り消し、停職6月に 静岡県人事委裁定 
(産経新聞 - 03月22日 15:28) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=4489614 

 教師っていう職業は、一体何なのでしょうか。 

勉強を教えること?生徒の技能を高めること? 
だとしたら、盗撮して処分を受けても問題ないでしょう。 
ただの個人の嗜好の問題だから。 
仕事に対する意欲や力があれば問題ないわけです。 

 一方、雇う側から考えて見ましょう。雇用者は、自治体教委です。 

さて、こういう人物を信頼第一の学校の仕事に就かせたいと思うでしょうか。 
生徒もそんな先生に教えてもらいたいと思うでしょうか。 

 ここが焦点になるのでしょう。 

 私としては、再チャンスを与えてもいいと思っています。 
人間、人生で一度や二度は間違いを犯すこともありますよ。 
そこで本人が猛省して、二度と同じ過ちは繰り返さないと意思表示しているのならば。 

 日本社会の考えたい問題の一つとして、 
再挑戦しにくい労働環境にあるということが挙げられます。 

 日本人って、イメージって重要視しますよね?例えば、チロルチョコを盗んだとしますよ。 

その容疑者が、店のパートのおばちゃんだったり、無職の人だったりすると、 
報道される可能性が低いのですが、公務員だったり先生だったり、芸能人だったり 
スポーツ選手だったりすると、イメージが先立って報道、公表されるわけです。 

 メディア(テレビ・新聞・雑誌・ネット等)で叩かれるのです。 

つまり、職業によって差別されている…。そんなイメージなんです。 
犯罪は犯罪。どんな職でも関係ないはずです。 

 今回の場合は、盗撮が教職としてどのような影響を与えるか。 
盗撮された被害者との示談が成立してさえいれば、問題ないと思います。 

生徒の中には、自分の力を引き出してくれる先生であるのならば、 
問題視しない子もいるでしょう。 

 雇用者が、間違いを犯した人物のことを信じ、受け入れるならば、問題は無いのです。
ただ、2度目があれば、厳重に処分するべきですが。 

 どんな職業であれ、「これからは、肝に銘じて頑張る!」っていう人ならば、 
犯罪者、犯罪者と囃し立てないで、再スタートの出来る機会が得られる社会でありたいものですね。 

 しくじり先生、歓迎しませんか?

2017年3月21日 (火)

何を優先させるか。

ローマ字「ち」表記で児童混乱 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170321-00000044-mai-soci

 子どもの立場からすると、訓令式のほうが覚えやすい。 
 大人の立場からすると、ヘボン式のほうが実用的だと。 

ここで、求めたいのが、ローマ字を小3で学習するに当たってのめあて。 
学習するのは、小学3年生。 
英語を習っている子もいれば、疎い子もいる。つまり、ごちゃまぜ状態。 

 そんな中で、何を優先するかということ。 

私だったら、 
「ローマ字で言葉を書くことがおもしろいなぁ」 
「もっとローマ字で言葉を書いてみたい」 
と、子どもに思ってもらえるようにしたい。ローマ字に興味をもたせること。 

となれば、訓令式のほうが、小3には覚えやすいでしょう。 
規則的に子音と母音が並んでいるのですから、それを繰り返し覚えればいい。 

 そこへ、へんな意識を持った大人が、 
「いや、英語の学習もあるのだから、 
 ヘボン式を優先させないと!そっちのほうが実用的だ。 
 そもそも、"ti"なんて、「ち」じゃなくて「てぃ」だろ。」 
となると、英語嫌い予備軍を産み出すことになるわけ。 

たかが7~8歳の子どもだよ?国語さえ覚束ないのに。 
そんなん押し付けなくてもいいじゃん?? 

 まずは、訓令式を覚えさせて、意欲満々の児童を育てて、 
そのあとで、例えば、 
「"chi""fu"sha"などと書く方が、もっと英語に近付くよ。 
 福知くんは、ローマ字だったら"Fukuti"でOKだけど、 
 英語じゃぁ"Fukuchi"と書くことが多いんだ。 
 余裕のある人は、こういう書き方も覚えていこうね!」 
程度でいいのではないでしょうか。 

 押し付けでなく、気持ちよく楽しく学習できるようにしていくこと。 
それが、教師・大人の役割なのではないかと思います。

2017年3月20日 (月)

どこまで冷静になれるか…がポイント

これでは逆効果!子どもを叱るときのNGフレーズ3個 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=154&from=diary&id=2500657 

「~してくれると嬉しいな。」 

という言葉は,子供にはかなり有効な気がします。 
こうすると,人は喜んでくれるんだと認識できるわけですね。 

だけど, 

2:「いい加減にしなさい」→「今度同じことを言わせたら、○回目だから怒るよ」 
には,大反対。 

子供は,何度も同じ過ちを繰り返し,その過程から学ぶもの。 
しかも,「怒る」と「叱る」は違う。 
「怒る」のは,自分の感情論。「叱る」のは,諭すこと。 

「怒るな,叱れ。」 

これに尽きます。5回目でもできない子もいます。 
なぜできないのか,分析することも必要なのです。 

「叱る」と「怒る」は違います。 
そこを大人に理解しておいて欲しいですね。 

とはいえ,大人も人間ですから,イライラにも限界がありますけれど^^;

冷静に、冷静に。

感情的に「怒」らないよう,「叱り」たいものですね。

2017年3月19日 (日)

何を仰いますやら。

■強制はNG。子供の習い事は、本人が興味をなくしたら辞めてもOK 
(まぐまぐニュース!) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=4415405 

 なぜこんな当たり前のことが記事になるんだろう。 
記事にした記者に金が入るのか… 
興味をなくしたら辞めてOKに決まってるでしょうに。 

 子供に何かをさせたければ,適切な動機付けが必要ですね。 
親が興味を持って取り組んでいることならば, 
必然的に子供も興味を持ちやってみたくなります。 

 ジムのプールへ水泳をしに通うお父さんならば,子供も興味を持つことでしょう。 

 野球好きのお父さんがテレビ中継を見ていると, 
 一緒に見ていた子供もやってみたいと思うこともあるでしょう。 

 ピアノが上手な親でしたら,子もピアノを弾いてみたくなるでしょう。 

 仲の良い友達がサッカーを習っていたら,自分もやってみたくなるでしょう。 

などなど,子ども自身で見聞きした経験を基に,やりたいことが生まれるわけです。 
もっと大きくなれば, 
必要を感じて,「塾に行きたい」という子もいるでしょう。 

 子供は自分できっかけをつかみます。 
子供から声があれば,その通りに機会を与えるといいでしょう。 

 ただ,自己で意思決定が出来ない年齢の乳幼児の次期から, 
親の意思で習い事をさせるというのはアリだと思います。 
思考回路が出来上がる前に,ルーティンワークとして刷り込むと, 
子供は興味を失うということは少なくなります。 
ただ,年齢が上がるにつれて,友達は遊んでいるのになぜ私だけ… 
という思いにならないように,励まし続けることが大事になりますよね。 

 今の時代…親のエゴで強制というのは, 
もしかして,虐待で訴えられるかもしれませんよ~!! 

 私は阿呆だったので,知らない間に硬筆・水泳・体操を習わされていました。 
ほとんど放課後遊べんがな!!と気付いたのは小6の2学期。 
友達と『悪魔城ドラキュラ』をして遊びたかったのに(ww 
水泳と体操のダブルヘッダーの時なんか, 
帰る時間,9時過ぎじゃったし! 

くっそぉ…親めぇ… 

まぁ,スクールに通う他の学校のやつらと友達になれて楽しかったからいいけど。 
自分でやりたい!と言ったのは,サッカーだけだったなぁ…orz 

高い受講料金を出してくれて,ありがとうございました…☆ 
親に感謝で~ス。

危険!

■「子どもの権利」拡大認めず 日本会議から広がる運動 
(朝日新聞デジタル) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4050226 

  
子どもに大人と同じ権利を与えてはならないことは,1990年に署名した時点で 
危ういと,未成年ながらに思った記憶がある。 

人間らしく生きる権利は,大人子ども関係なく守られるべき。 
だけど,明らかに反社会的行動をする子どもに対して, 
言葉だけでは躾けられない場合,ビンタの1発や2発,OKだと思う。 
廊下に立たせたりするのも然り。 

 大人と子どもの間に明らかな一線を引いてきた日本だからこその 
思い遣りや生真面目さが長年成り立っていたのではないか。 

 だが。欧米の諸国は,自分達の思想こそがスタンダードであると, 
傲慢にも東西問わず,アジア諸国に押し付けてきたわけだ。 

 男女平等,子どもは守られるべきであると。 

基本は正しいと思うのだが,その国はその国で古(いにしえ)から培われた 
思想や文化があるわけだから,ある程度は尊重すべきだ。 
イスラムにはイスラムの,仏には仏の,ヒンドゥにはヒンドゥの考え方があるのさ。 
男尊女卑であっても,その国が上手くいっているならOKだろう。 
逆にアフリカ某国の女尊男卑であってもだ。 

ソレなのに,何が何でもオマエらは間違ってる!…だなんて。 
今のアラブ諸国の混乱が物語っているわな。 

 日本は日本の子育て。 
父が叱り,母が父の思いを子に話し納得させる役割分担, 
父が外で母が内で働く,子がその背中を見る…。感謝の念を抱く。理想の大人像を抱く。

 子どもに大人と同じ刺身や肉を喰わせること自体,おかしいんじゃ! 
ジュース感覚でゴールデンタイムにチューハイを宣伝すること自体、

おかしいんじゃ,ぼけぇ!! 

…いやいや,失言。失礼。 

それはそれで,長年熟成されてきた各国スタンダードがあったわけだから, 
欧米の考えを100%取り入れる必要なんて全くないのさ。 


 なぁなぁ。

思い切って,久しぶりに鎖国しないか??ガラパゴス,結構じゃん。国連脱退。 
世界と喧嘩しようってわけじゃないけどさ, 
今こそ,人間的に逞しい古来の日本を取り戻したいね。

まて。

学校で教えられた「きれいごと」は社会では役に立たないのか? 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=4357389 

「自分がされて,嫌なことは人にするな。」 

という考え方は,正しいと思う。が,そう教えるのは間違い。 
今の時代,その問いに 

「オレ,別にされてもええもん。」 

と答える子どもが多い。 
そう言われては,指導者としてこちらの主張は終わってしまう。だから私は, 

「誰かが困ることは,するな。」 

と教えている。 
現代の子どもは,想像力が過去10年の子どもと比べて,遥かに乏しい(経験則です)。 

 例えば,ポイ捨て。 


誰も見ていなければ,捨てても良いのか。だが、そのごみを誰かが拾うことになる。 
直接・間接関係なく,人の手をできるだけ煩わせることのないように, 
気を配ること,そういったことが出来るようにしていくことが, 
社会で役に立つのではないだろうか。きれいとか汚いの話ではない。 

まぁ,役に立つ・立たないだけで,全てを判断すること自体,浅はかだわなぁ。 
勉強もそうだし…。 

大人になって,死ぬ間際になって,人生を振り返った者のみ, 
役に立ったか立たなかったか,語る資格があるのだろうね。 

…語れねぇか(w

■【受験を考える】疲弊する公立教師たち 仕事多すぎる92%・保護者対応増えた80%   産経新聞より


 今の学校の先生の忙しさを10として,即効7にできる方法がある。 
それは,教育委員会や文科省の調査や報告文書をなくす,或いは半分以下に減らすことだ。 
「学校現場の先生は大変だねぇ…」と言うだけで,何も対策を施さない。 

税金は増やすが,報酬減額など身を切ろうとしない議員どもと全く同じ構図なんだなぁ。 
大切な報告は仕方がないとして,本当にくだらねぇ調査や報告は山ほどあるぞ。 

貴校にパソコンは何台ありますか、

そのうちネット接続しているものは何台ですかだとか、

そんなの、事務に聞けっつうの。下らん。

備品だから既に報告してるだろ。教委で把握してるはず。

忙しいの分かってるなら、そっちで調べろよって感じで…(w

細かいことは守秘義務があるからここでは割愛するけど,可及的速やかに対応を。 

 確かに,モンペの対応は鬱陶しいし面倒くさい。 
家庭で教育しておくべきことだろうが!って思うことが多すぎるのも確か。 
親から子へ受け継がれていくべきこと,例えば,食事の仕方や片付け,挨拶,会釈とか。
社会で生きていくために必要な初歩的な礼儀や能力が,保育園卒園、

幼稚園卒業までに躾けられていないことが多い。 
いや,躾けることを知らない親が増えている。 

核家族化が当たり前になってきて分かってきたことなので, 
こういった親や子はこれからも減ることはなかろう。 

私の経験で申し訳ないけど, 
じいちゃんばあちゃんと一緒に住んでいればいいと言うことではないみたい。 
学力が高い,友達が多いなど,ステキな子に共通することは, 
例外なく, 

 親が料理や掃除を得意とする家庭 

だということ。 

自分の時間は欲しいけれど,子どものためにソレを犠牲にする。 
じいちゃん,ばあちゃんの時代には当たり前のこと, 
子を持つ親としては当たり前のことだけれど, 
それが出来ない,我慢ならない大人が多い現実。 

子どもに時間を注げば注いだだけ,子どもは素直に健やかに育つ。 
しかも,後々,自分から自分で動けるようになるから,だんだん手が掛からなくなる。 
  
 時間の初期投資が出来る親が増えてくれれば, 
学校現場の職員の負担も減るわけだが,経済を最優先にする日本政治の下では,ソレも難しかろう。 

 経済と教育… 

二兎を追うものは一兎をも得ず…というが。 

学校現場の忙しさ解消は,叶わぬ夢かもしれない。

面白いのではないでしょうか

■小学生もプログラミング=東京・前原小、必修化に先駆け全学年―学習指導要領改定 
 

 という記事が時事通信社から発表されました。 

プログラミングと言う言葉で表現されだして、注目を浴びるようになりましたが、 
こういった試行錯誤的な学習はずっと前より行われていましたね。 
ただ、授業と言う形ではなく、特に自由研究という扱いが多い気がします。 

決して、目新しい学習方法というわけではないのです。 

 今の自由研究は、かつての試行錯誤をしながら進める形を失っていて、 
本やインターネットで紹介されている実験や観察を、書かれている通りにやってみる、 ただ「確認する」ものになってしまっているのです。 

だから、プログラミングと言う言葉で、新たに試行錯誤をして 
現象を確認しよう、発見しようという学習を表現しているに過ぎないのです。 
 学習指導要領では、恐らく、現象を確認するに当たっての手法や段階を予想させ、 
現象に応じたチャート、つまり、アルゴリズムを構築できるような力を付けさせたいのでしょう。 

 ただ、これは強制するのではなく、 
教師側には見守るスタンスが求められるのではないでしょうか。 
決して、結果を求めない。上手くいかなくても、全然OK。 

「好きこそものの上手なれ」と言う言葉があるように、 
「なんでやねん!??」と、興味を持ってくれたらその授業は大成功!ってね。 

 かく言う私も、ファミリーベーシックをきっかけに、 
小5のときから実際にパソコンでプログラムを独学していました。 
ファミコンみたいなゲームを作ってみたかったから。 
今考えると、BASICながら、 

FOR I=0 TO A 
B=A+I 
IF B>C THEN D=RND(B)+I 
STR=STR+D 
NEXT I 

なんて、小学生のくせに理解できてたのがすげーなって、今でも思います。 
ソレが高じて、BASICマガジンやOh!Xとか 
雑誌で食い入るように研究したものです。 
今では16ビットまでなら、C言語やマシン語もOKです(TT)<時代錯誤 


 けっきょく南極、自分で身につけたその力は、今の仕事にあまり生きていませんが、 

ビジュアル機器やソフトの仕組みは、子供ながらに理解できましたし、 
今でも通用する知識なので、よかったかなぁと思っています。 

プログラミング教育… 
アルゴリズムに興味を持つきっかけ作りと言う意味では、 
かなりポテンシャルを秘めた教育と言えるのではないでしょうか。 

まぁ、うまくいくかどうかは、現行の授業時数と先生方の力との兼ね合いですね。 

……教職復帰しようかなぁ…(w

みんな≠先生だけ みんな=児童生徒+保護者+地域+先生+行政

■「毎日、授業にもならなくて、ババアとか死ねとか言われまくって」 現役教員が匿名ブログで「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」と吐露 

という記事が先日、Web上にありました。 



 教育困難校っていうのは,いわゆる支援学校のようなものだと思っています。 

中学校で落ちぶれていたり,どうしようもない経済的な家庭の事情があったり, 
DVを受けていたり… 

 そう言う子ども達が,ここなら受験が受かるだろう学校に集うわけ。 

私は,義務教育学校に勤めていましたが, 
児童生徒,誰しも, 
「できるようになりたい」 
んです。向上心を持っているんです。でも, 
「分かってもらえない」「できない」んです。そんな子がいるんです。 

ずっと行動や言葉で助けを求めていました。 
そんなサインをずっと分かってもらえなかった… 

自分には抗えない何かしらの力に対抗するがため, 
「ババア」「死ね」だの, 
自分の気持ちを発しているんだと思っています。 

小学校・中学校の義務教育に携わる教職員の方々は, 
そう言う子ども達や高等学校教育に携わる先生方に対して 
100%自分達の責任ではないしにしろ,申し訳ないと思っていると思います。 
力になってあげられなかったと。 

 ですが,生徒が希望すれば,なんとか高校に行かせてやりたい。 

生徒指導の先生や担任は,その生徒の人生を左右するのですから,本当に必死ですよ。 
生徒の幸せのためです。高卒と中卒,現実,初任給から違いますからね。 
就ける職業も幅が違います。だから,マジで親身です。生徒第一なんです。 


でも,精一杯頑張って進学できた先が教育困難校… 

 中には,そんな高校を改善したという話を聞くことがあります。 
しかし,現実問題,すぐにうまくはいかないでしょう。何年もの時間を要します。 

私も荒廃した学校を職員一丸となって立て直した経験があります。 
それには4年掛かりました。教職員は勿論,地域住民の力添えもありました。 
一番大きかったのは,保護者の理解。 
校長が必死になって泥をかぶってくださいました。 
保護者に対して先頭に立って,理不尽な言葉にも耳を傾け,理解を促しました。 

 教育困難校と言われる学校の教頭先生,校長先生, 
その管轄自治体の教育委員会の方々, 
どうか,面倒くさがらずに頑張っている先生方の力になってあげてください。 

また,義務教育に携わる先生方, 
送る先の学校の先生が困らないように,精一杯, 
子どもの「できるようになりたい」向上心を大事にして 
ひとつでも出来ることを増やしてあげてください。 

そうすれば,教育困難校とレッテル貼られる学校も悩む教職員も少なくなるのではないでしょうか。 

学校現場の努力と地域の協力… 
コレですよ! 


「もう無理」と頑張っている先生。 
無理しなくてもいいですよ。周りに助けを求めてください。 
子どもはみんなで育てるものです。 

いつか、 
「こんな時代もあったね」と,笑える日が来ますから。 

まぁ,言うは易しですけどね…う~む。

PTAは必要でしょう。けれど…

 宮川一朗太さんが、PTA不要論に反論していました。

「子どものために」と。

 

 「元来、PTAには、保護者と教師で子供の健やかな成長に 
共に力を合わせて、貢献していきましょうね。」的な考えがあることは、 
子供を持つ大人は誰しも理解しています。 
つまり、子供を第一に考えて共に育てていきましょう…と。 

 宮川さんの「やりたい人がやればいい」というのは、

あまりにも乱暴な極論ですが、もっと変えていく必要はあります。それは事実です。 

 最近、学校側と保護者側に考え方のズレが顕著になってきました。 

PTAが発足した時代は、女性が働く世帯は非常に珍しいものだったといいます。 
ですから、子育てに専念できた当時は、女性がPTA役員として学級活動の仕切り役や催しなど、 学校からの要求に応えるくらいの余裕は充分にありました。 

 時が移ろうにつれ、女性の社会進出が当たり前になった現在、 
働くお母さんは職場に穴を開けることができないわけで、 
おいそれと学校の活動に参加できなくなっているのです。 
旦那が参加しても全くかまわないのですが、それはあまり望めないでしょう。 
共働きをしている保護者にとっては、職場の理解がない限り、PTA役員は重荷です。 
敬遠するのは当然と言えますよね。 
(中には、ただただ、面倒くさいというだけの、学級懇談さえ全てエスケープする、 
 子供が可愛そうになるくらい、どうしようもない、救いようのない保護者もいますが。) 
それでも、現状を維持したまま一億総活躍社会を目指しているんですから、 
当然PTA活動にも歪みも出てきますよ。 

 一方、学校側も考えものです。 

 運動会や学習発表会(学芸会)などの大きな行事についての役割をPTAにも分担をお願いするというのは分かります。 
しかし、自治体の主催する講演会に、頭数を稼ぐだけのために出席を依頼するというのはいかがなものでしょうか。 

 特に、教育委員会主催の人権や子育てについての講演会をはじめとした、意味の無いような研修会への参加を依頼する… 

こういった講演会・研修会など、自主的に興味を持って参加をしている人なんてほとんどいません。 
参加者は、校長・教頭から依頼された仕方なく参加している教師達。それと、PTA役員の方々がほとんどなのです。 

 参加してくれとお願いしないといけない…そんな催しもの、必要ですか? 

それでも必要だと言い張るのが自治体です。 
自治体も実績が欲しいですから、何としても開催したいのです。数字が欲しいのです。 
国から実績調査がありますから。 
予算が組まれていれば、その予算を使わなければ…という役人の重圧もあるんですよ。 
さらに上に言われれば、学校現場は応えざるを得ません。公務員ですから。 

それがPTAに皺が寄る… 

 そう、PTAは、子供の健全な育成には必要ですが、自治体の考えが変わらない限り、PTAの実態も変わりにくいのです。 
公務員の実績を上げるために子供が存在するわけではないでしょう? 

まぁ、学校の活動にも、文化部のPTA新聞って必要なのか??なんて疑問もありますが、
それくらいは協力してあげてください。 
事業部の廃品回収も、収益は図書の本の購入や学校備品の購入と言う形で子供達に還元されますから、 
保護者の皆さん、面倒、やめるなどとは言わないで、是非、協力してあげてくださればと思います。 
また、役員でないPTA会員の方々、役員の方は、皆さんを代表して頑張って下さっています。 
是非、是非、協力して下さい。 

 PTA活動は必要だと思います。 
PTAが無かったら、学校行事自体が成り立ちません。保護者全員の協力の下に学校教育活動が上手くいっているのです。 

ですが、内容を時代に合わせて新陳代謝させていく必要があることは確かです。 
行政側も保護者側も、歩み寄る時期が来ているのかもしれません。 

役員を引き受けてくださった方だけに負担が行かないように、会員みんなで、声を掛け合って、子ども達のために頑張りましょう~☆ 

そんな苦労が出来るのも、今の数年間だけだぞ♪