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ブログをこちらへ引越ししてきました。 教育現場で感じたり思ったこと、 ニュースに対する考えなどを書き綴っていきます。 当面は、過去のものをアップしていきますが、 随時、書いていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします♪
絵を描くことが大好きです。図画・工作の授業は、こちらが楽しんだ感じです。 学年・学級通信の挿絵も自分で描いた物を使っていました。制服や体操服など、学校に合わせた絵になるので、保護者は勿論、おじいちゃん、おばあちゃんまで読んでくれます♪ イラストACさんで、無料でダウンロードできますので、印刷物を作るときには使ってみてくださいね☆

このサイトは、学年・学級通信や掲示物を作るのに便利なイラスト集です。 版権フリーの無料ダウンロードなので、重宝しますよ♪ 私の絵も「たんぱく」というPNでアップしてます。良かったら使ってみてください。


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2017年3月26日 (日)

頼むぜ、おい。

 学校の先生は、ただ授業をしていればいいというわけではありません。

小学校ならば45分間、中高ならば50分間、
1つの「めあて」を立てて行う必要があるのです。
この時間で子ども達に分かってほしいこと、身につけてほしいこと、
気付いてほしいことを明確にして臨みます。

 さぁ、平成29年度。

研究授業を行う学校の先生方。
ほとんどの先生が、該当する学年或いは教科を担いたくないと
思っていらっしゃるのではないでしょうか。

 研究授業というのは、
その学級の子ども達に相応しい学習の流れと言いましょうか、
子どもの反応を予め予想して、その反応に対してどのような助言をするか、
どのように導いていくかということを考えた、
フローチャートみたいなものと言えましょう。
計画的に、教師の意図する結論に導いていくという感じです。
そのために「学習指導案」、いわゆる計画書を用意しなければなりません。
この用意が教師にとって苦痛なのです。
本当のことを言えば、毎時間それを書く必要があるのですが、
現実としてそれは難しいですよね。
だって、1つの指導案を書き上げるのに何時間も要し、
年間約200時間以上分の指導案を書き上げる時間なんてありませんからね。

 全国・地方・都道府県規模の研究授業を任されたならば、
2~3学期に実施する学習なのに、1学期からその学習指導案を書き、
教職員全員で、あ~だこ~だと喧々囂々、検討会を行うわけです。

それを元に書き直し、先生達が子供役をして模擬授業!
その結果を元に、更に書き直しするわけです。

 そんな過程を通常の仕事をしながら行うわけですよ。

その上に研究授業をすることになった先生は、
貧乏くじを引いてしまったと思うしかありません。
だって、ソレをしたからと言って何の手当が付く訳でもないし。

 ただ。

研究授業をすることにおいて、
自分の実力アップに繋がるとプラスに考えるか、
給与は変わらないのに仕事量が増えただけと、マイナスに考えるか。


 私の場合ですけど、求められたら受ければいいと思っています。

私は、県代表で体育の研究授業を公開しましたし、
地域ブロック代表で国語の研究授業を公開しました。また、人権教育も。

 本音としては、私ごときの授業でいいんだな?!!マジか?!
だったら、構いませんよ…というスタイルでしたね。

 みんなが面倒と思うことを率先して引き受ける…。

これは、どんな職業でも、信頼を勝ち取るためには必要なことではないでしょうか。

正直なところ。
公立学校の先生って、適当に流していても安定した収入を得られる職業です。
そう簡単にクビにならないし。

民間企業側から言わせてもらえば、先生方。
もっともっと、授業の展開の研究に積極的になって欲しいものです。

2017年3月24日 (金)

道徳は評価できません。

■「心の評価」悩む学校=教師「基準なく難しい」―通知表記述で忙殺も・道徳教科化 
(時事通信社 - 03月24日 16:01) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4493355 

 ついに来ましたね。このときが。

道徳が教科化されるときが。 分かってたけど。

教科となれば、 
当然、生徒児童にの通知票あるいは、指導要録に 
ちっきりと表記されることになります。 
総合的な学習の時間と同様、 
出来るようになったことや努力したことを 
数行で記入することになるのでしょう。 

ここで現場が疑問視するのは、 
考えが多様化するこの時代、児童生徒の心をどのように評価すべきかということ。 
つまり、わたし(教師)が基準でいいのでしょうか?!ってこと。 
基準が無いわけではないのよ!!? 

小3の国語で「みんなちがってみんないい」と賞賛している一方で。 
基準があるなんて…ねぇ…。 

ただ、「日本人としての礼儀や思いやりの心」などは、 
評価「基」準として採用するべきでしょう。 

例えば、 
   困っている友達がいたら、優しく声を掛けてあげたり協力してあげたりする 
  考えを持っていればいい(仲よし、助け合い)。 
   野球の試合でエラーをしても、腐らずに、しっかりと目標に向かって 
  練習する態度を持っていればいい(節度・節制・自立)(希望・勇気)。 
   明るく元気に挨拶ができる(礼儀)。 
などなど。基にするべき考えは必要です。 
学習指導要領にも、「日本人として」という表記がありますし、 
今後も、安全で平和な日本生活・文化を築いていくためには当然だと思います。 

 道徳の時間は、ハッピーマンデー制度が出来たときから、 
月曜日を避けて設定するようにと、文科省から各学校に通達がありました。 
きっちり、年間35週、確実に35時間授業を行えるようにするためです。 
今やほとんどの学校、学級でなされているはずです。 

 その35時間で、子どもの心や価値観を評価できますか? 
甚だ疑問です。道徳の授業で指導したことが身についているかだなんて。 

 心は、時間をかけてじっくりと育つもの。 
 価値観は子どもの成長段階で徐々に変化していくもの。 

文部科学省の役人共は、そこを理解できているのでしょうか。 

 教科化されるのならば、今までに所見として記述していたことが 
道徳の評価になってしまうのですから、 
所見欄は削除してもいいのかもしれませんね。それでプラマイゼロだ♪ 

 ココだけの話、私が現役の頃は、35時間を超えていました。 
社会に出て、人として最低限心掛けて欲しいことを伝えたかったから。 

 ①会釈の重要性。 
  目上の人の前を通る時は、頭を下げよう。 
  簡単なこの行為だけで、相手は気持ちよくなる。 
  レジでお釣りを渡されてちょっと頭を下げるだけで、 
  店員さんもモチベーションアップです。 
 ②箸の持ち方、椀を持って食事をすること。 
  命を頂いていることに対する、動植物への畏敬の念を持って欲しい。 
  食事の仕方で人の全てが分かります。いくらイケメンでも、 
  肘つきで食ってる姿を見ると、幻滅しますよね。 
 ③第三者へ迷惑を掛けないこと。 
  ごみのポイ捨て。誰かが片付けなければならない。目に見えなくとも、 
  誰かがその始末をしているということを認識して欲しい。 
  バレてる、バレてないなんて考えないで、正しいことをしましょう。 

な~んて、普段ならば、学級活動の時間で教えるべきことだけれども、 
道徳として、心の学習として行ってました。 

 教え子達…道徳の学習は活きているのかなぁ☆いや、活かしていてくれ!!

2017年3月22日 (水)

いいじゃん、別に。

■盗撮教諭の免職取り消し、停職6月に 静岡県人事委裁定 
(産経新聞 - 03月22日 15:28) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=4489614 

 教師っていう職業は、一体何なのでしょうか。 

勉強を教えること?生徒の技能を高めること? 
だとしたら、盗撮して処分を受けても問題ないでしょう。 
ただの個人の嗜好の問題だから。 
仕事に対する意欲や力があれば問題ないわけです。 

 一方、雇う側から考えて見ましょう。雇用者は、自治体教委です。 

さて、こういう人物を信頼第一の学校の仕事に就かせたいと思うでしょうか。 
生徒もそんな先生に教えてもらいたいと思うでしょうか。 

 ここが焦点になるのでしょう。 

 私としては、再チャンスを与えてもいいと思っています。 
人間、人生で一度や二度は間違いを犯すこともありますよ。 
そこで本人が猛省して、二度と同じ過ちは繰り返さないと意思表示しているのならば。 

 日本社会の考えたい問題の一つとして、 
再挑戦しにくい労働環境にあるということが挙げられます。 

 日本人って、イメージって重要視しますよね?例えば、チロルチョコを盗んだとしますよ。 

その容疑者が、店のパートのおばちゃんだったり、無職の人だったりすると、 
報道される可能性が低いのですが、公務員だったり先生だったり、芸能人だったり 
スポーツ選手だったりすると、イメージが先立って報道、公表されるわけです。 

 メディア(テレビ・新聞・雑誌・ネット等)で叩かれるのです。 

つまり、職業によって差別されている…。そんなイメージなんです。 
犯罪は犯罪。どんな職でも関係ないはずです。 

 今回の場合は、盗撮が教職としてどのような影響を与えるか。 
盗撮された被害者との示談が成立してさえいれば、問題ないと思います。 

生徒の中には、自分の力を引き出してくれる先生であるのならば、 
問題視しない子もいるでしょう。 

 雇用者が、間違いを犯した人物のことを信じ、受け入れるならば、問題は無いのです。
ただ、2度目があれば、厳重に処分するべきですが。 

 どんな職業であれ、「これからは、肝に銘じて頑張る!」っていう人ならば、 
犯罪者、犯罪者と囃し立てないで、再スタートの出来る機会が得られる社会でありたいものですね。 

 しくじり先生、歓迎しませんか?

2017年3月21日 (火)

何を優先させるか。

ローマ字「ち」表記で児童混乱 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170321-00000044-mai-soci

 子どもの立場からすると、訓令式のほうが覚えやすい。 
 大人の立場からすると、ヘボン式のほうが実用的だと。 

ここで、求めたいのが、ローマ字を小3で学習するに当たってのめあて。 
学習するのは、小学3年生。 
英語を習っている子もいれば、疎い子もいる。つまり、ごちゃまぜ状態。 

 そんな中で、何を優先するかということ。 

私だったら、 
「ローマ字で言葉を書くことがおもしろいなぁ」 
「もっとローマ字で言葉を書いてみたい」 
と、子どもに思ってもらえるようにしたい。ローマ字に興味をもたせること。 

となれば、訓令式のほうが、小3には覚えやすいでしょう。 
規則的に子音と母音が並んでいるのですから、それを繰り返し覚えればいい。 

 そこへ、へんな意識を持った大人が、 
「いや、英語の学習もあるのだから、 
 ヘボン式を優先させないと!そっちのほうが実用的だ。 
 そもそも、"ti"なんて、「ち」じゃなくて「てぃ」だろ。」 
となると、英語嫌い予備軍を産み出すことになるわけ。 

たかが7~8歳の子どもだよ?国語さえ覚束ないのに。 
そんなん押し付けなくてもいいじゃん?? 

 まずは、訓令式を覚えさせて、意欲満々の児童を育てて、 
そのあとで、例えば、 
「"chi""fu"sha"などと書く方が、もっと英語に近付くよ。 
 福知くんは、ローマ字だったら"Fukuti"でOKだけど、 
 英語じゃぁ"Fukuchi"と書くことが多いんだ。 
 余裕のある人は、こういう書き方も覚えていこうね!」 
程度でいいのではないでしょうか。 

 押し付けでなく、気持ちよく楽しく学習できるようにしていくこと。 
それが、教師・大人の役割なのではないかと思います。

2017年3月20日 (月)

どこまで冷静になれるか…がポイント

これでは逆効果!子どもを叱るときのNGフレーズ3個 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=154&from=diary&id=2500657 

「~してくれると嬉しいな。」 

という言葉は,子供にはかなり有効な気がします。 
こうすると,人は喜んでくれるんだと認識できるわけですね。 

だけど, 

2:「いい加減にしなさい」→「今度同じことを言わせたら、○回目だから怒るよ」 
には,大反対。 

子供は,何度も同じ過ちを繰り返し,その過程から学ぶもの。 
しかも,「怒る」と「叱る」は違う。 
「怒る」のは,自分の感情論。「叱る」のは,諭すこと。 

「怒るな,叱れ。」 

これに尽きます。5回目でもできない子もいます。 
なぜできないのか,分析することも必要なのです。 

「叱る」と「怒る」は違います。 
そこを大人に理解しておいて欲しいですね。 

とはいえ,大人も人間ですから,イライラにも限界がありますけれど^^;

冷静に、冷静に。

感情的に「怒」らないよう,「叱り」たいものですね。

2017年3月19日 (日)

何を仰いますやら。

■強制はNG。子供の習い事は、本人が興味をなくしたら辞めてもOK 
(まぐまぐニュース!) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=4415405 

 なぜこんな当たり前のことが記事になるんだろう。 
記事にした記者に金が入るのか… 
興味をなくしたら辞めてOKに決まってるでしょうに。 

 子供に何かをさせたければ,適切な動機付けが必要ですね。 
親が興味を持って取り組んでいることならば, 
必然的に子供も興味を持ちやってみたくなります。 

 ジムのプールへ水泳をしに通うお父さんならば,子供も興味を持つことでしょう。 

 野球好きのお父さんがテレビ中継を見ていると, 
 一緒に見ていた子供もやってみたいと思うこともあるでしょう。 

 ピアノが上手な親でしたら,子もピアノを弾いてみたくなるでしょう。 

 仲の良い友達がサッカーを習っていたら,自分もやってみたくなるでしょう。 

などなど,子ども自身で見聞きした経験を基に,やりたいことが生まれるわけです。 
もっと大きくなれば, 
必要を感じて,「塾に行きたい」という子もいるでしょう。 

 子供は自分できっかけをつかみます。 
子供から声があれば,その通りに機会を与えるといいでしょう。 

 ただ,自己で意思決定が出来ない年齢の乳幼児の次期から, 
親の意思で習い事をさせるというのはアリだと思います。 
思考回路が出来上がる前に,ルーティンワークとして刷り込むと, 
子供は興味を失うということは少なくなります。 
ただ,年齢が上がるにつれて,友達は遊んでいるのになぜ私だけ… 
という思いにならないように,励まし続けることが大事になりますよね。 

 今の時代…親のエゴで強制というのは, 
もしかして,虐待で訴えられるかもしれませんよ~!! 

 私は阿呆だったので,知らない間に硬筆・水泳・体操を習わされていました。 
ほとんど放課後遊べんがな!!と気付いたのは小6の2学期。 
友達と『悪魔城ドラキュラ』をして遊びたかったのに(ww 
水泳と体操のダブルヘッダーの時なんか, 
帰る時間,9時過ぎじゃったし! 

くっそぉ…親めぇ… 

まぁ,スクールに通う他の学校のやつらと友達になれて楽しかったからいいけど。 
自分でやりたい!と言ったのは,サッカーだけだったなぁ…orz 

高い受講料金を出してくれて,ありがとうございました…☆ 
親に感謝で~ス。

俺ら、動物だぜ?なにを自惚れてるんだ。

高校のクラス全員で裸に、男子も女子も担任も 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=4359391 

珍子も万子も人間ならば必ずどっちか持ってるはずなんだ。 
隠す理由が,未だに分からない。 

お偉いのババァどもは,プライベートゾーンだとかなんだとか 
小さい子にワケのわからないことを言いやがって,隠したがるんだよな。 
大事なところだからとかさ。本当に大事なところは頭部だろうが。陰部じゃねーし。 
だったら,顔も隠せよ!見たかねーや!! 

…な~んて。 

国や民族によって,宗教的な事情で隠さざるを得ないことはあっても, 
少なくとも,クリスマスと正月行事が連続する日本においては, 
体はどの部位であっても,必要以上に隠す必要は無いと思うぞ。

人も動物だ。

地球上で陰部を隠したがる種はヒトだけ。異様だぜ?

珍子くらい見えてもスルーしろよ。万子くらい見えてもスルーしろや。

裸文化にも服を着せたがるような,一方的な欧米的な思想にストップ! 

隠すことが近代文化だなんて幻想、間違ってるZO。

砂糖よりも甘い考えだわ。

■小中教諭の7割、週60時間超勤務 医師や製造業上回る 
 朝日新聞デジタル


ちょっと長くなる! 


教員だったとき,残業手当に換算すると… 
な~んて考えながら勤めてたことを思い出した。 

結局自由に使える先生の時間は,放課後1時間だけ。 

しかもそれは,会議も家庭連絡も部活も出張も無いとき。レアだ。

 
小・中の先生が1時間目から6時間目まで埋まってたとして, 
いつ授業の準備をするのよ…ってこと。 
いつ子供に向き合えというのよ…ってこと。 

あまり知られていないけど,学校の先生には必ず担任の仕事以外に, 
「校内分掌」というものがある。 

国語担当とか算数(数学)担当とか、教科のみならず、

生徒指導担当、人権教育担当、教務主任とか…


市区町村管区内学校の,その担当の先生が集まって情報交換や打合をするわけ。 
例えば,私が主に任せて頂いていましたが、

体育担当の先生が集まって,水泳記録会や陸上記録会の打合をするとか, 
国語の研究発表をどこの学校にする?って喧々囂々してみたり。 

これが勤務時間内に終わればいいけど,まずソレは無いと考えたほうがいい。 
田舎の学校では,2~3つを受け持つわけ。 

子どもの数が少ないから、職員の数も少ない。

でも、分掌の数は学校の規模に関係ない。

必然的に分掌が分配されるわけで…。

小規模校に赴任されていた頃は、体育・理科・人権・情報の4つを兼ねました♪

運動会の準備をしなきゃいけないのに,問題のある児童の家庭訪問をしたりしてね。 
帰りが0時を回っちゃう。でも出勤はいつも通りの時刻。 

プリント作りやノート添削・コメント記入,お知らせの通信作り, 
学習発表会(学芸会)のシナリオ,運動会の演技の計画なども, 
なんだかんだで持ち帰り残業。 

私自身,朝4時半出勤をしていました。 
8時15分始業なので,1日当たり3.75時間残業。 
20日勤務とすると…75時間/月!! 


…でも,私の思いとしては,それでも全然嫌じゃなかった。 
ノートのコメントも,一人ひとり考えて書くのは楽しかったし, 
運動会の企画も面白かった。 残業は苦じゃなかったな。 
だって,超早出のおかげでほとんど定時に退庁してたからね♪ 
今思えば,辞めるんじゃなかった…かな…って、少し後悔することも。 

話がそれた。 
結局南極,先生という職業を生業と考えると, 
相応の対価,残業手当が支払われて然るべきで, 
ただ単に公務員だから当然と片付けてよい問題ではないと思う。 

労働だから。

ただ,休日数を考えると, 
中小企業に勤務されている方々,どうお考えになるか。 

先生の休日は,原則土日。2×52=104。 
祝日,年間16日。年末年始6日。 
夏季休暇6日。 
年間132日。 

さぁ,132日も休める企業の皆さん,挙手をお願いします。 

ほとんどの労働者の方々,そんなに休めていないと思います。 
しかもですよ? 
先生達は,お盆や年末年始に年次休暇をくっつけますから, 
単純に考えて,先生方には年間130日以上の休暇があるはずです。 
約2.8日に1日休みがある計算なんです。 

新採用の職員だって、4月にいきなり10日有給付きますから。

民間だったら、6ヶ月経たないと付きません。

初任者がいきなり140日休日ですよ!?


 少数意見として,部活の指導でそんな日数取れるか!ってのもあると思います。 
まぁ、そこは改善するべきです。 
ですが,私の経験上,90%以上の先生は充分に休めているはずです。 

育児休暇や病気休暇も充実しています。 
休暇を取っても誰も文句は言いませんし,後ろめたささえありません。 

営業なんかしなくても,仕事が次々と入ってくるし 
テキトーにしていても,そこそこの賃金も出るんだから。 

欧米の人々にとっては当たり前ですが,ここは日本です。 
共産国家で無い限り, 賃金も休暇も平等ということはあり得ないのです。 

モンスターペアレンツだぁ~?学級崩壊だぁ~??

なにぬかしとんねん!

他の職種に比べてどれだけ恵まれているか、分からんのか!!
そのことを心得て,勤務していただきたい。 


ソレが嫌なら,ぜひ転職を。

甘いわ、教職員。

■【受験を考える】疲弊する公立教師たち 仕事多すぎる92%・保護者対応増えた80%   産経新聞より


 今の学校の先生の忙しさを10として,即効7にできる方法がある。 
それは,教育委員会や文科省の調査や報告文書をなくす,或いは半分以下に減らすことだ。 
「学校現場の先生は大変だねぇ…」と言うだけで,何も対策を施さない。 

税金は増やすが,報酬減額など身を切ろうとしない議員どもと全く同じ構図なんだなぁ。 
大切な報告は仕方がないとして,本当にくだらねぇ調査や報告は山ほどあるぞ。 

貴校にパソコンは何台ありますか、

そのうちネット接続しているものは何台ですかだとか、

そんなの、事務に聞けっつうの。下らん。

備品だから既に報告してるだろ。教委で把握してるはず。

忙しいの分かってるなら、そっちで調べろよって感じで…(w

細かいことは守秘義務があるからここでは割愛するけど,可及的速やかに対応を。 

 確かに,モンペの対応は鬱陶しいし面倒くさい。 
家庭で教育しておくべきことだろうが!って思うことが多すぎるのも確か。 
親から子へ受け継がれていくべきこと,例えば,食事の仕方や片付け,挨拶,会釈とか。
社会で生きていくために必要な初歩的な礼儀や能力が,保育園卒園、

幼稚園卒業までに躾けられていないことが多い。 
いや,躾けることを知らない親が増えている。 

核家族化が当たり前になってきて分かってきたことなので, 
こういった親や子はこれからも減ることはなかろう。 

私の経験で申し訳ないけど, 
じいちゃんばあちゃんと一緒に住んでいればいいと言うことではないみたい。 
学力が高い,友達が多いなど,ステキな子に共通することは, 
例外なく, 

 親が料理や掃除を得意とする家庭 

だということ。 

自分の時間は欲しいけれど,子どものためにソレを犠牲にする。 
じいちゃん,ばあちゃんの時代には当たり前のこと, 
子を持つ親としては当たり前のことだけれど, 
それが出来ない,我慢ならない大人が多い現実。 

子どもに時間を注げば注いだだけ,子どもは素直に健やかに育つ。 
しかも,後々,自分から自分で動けるようになるから,だんだん手が掛からなくなる。 
  
 時間の初期投資が出来る親が増えてくれれば, 
学校現場の職員の負担も減るわけだが,経済を最優先にする日本政治の下では,ソレも難しかろう。 

 経済と教育… 

二兎を追うものは一兎をも得ず…というが。 

学校現場の忙しさ解消は,叶わぬ夢かもしれない。

面白いのではないでしょうか

■小学生もプログラミング=東京・前原小、必修化に先駆け全学年―学習指導要領改定 
 

 という記事が時事通信社から発表されました。 

プログラミングと言う言葉で表現されだして、注目を浴びるようになりましたが、 
こういった試行錯誤的な学習はずっと前より行われていましたね。 
ただ、授業と言う形ではなく、特に自由研究という扱いが多い気がします。 

決して、目新しい学習方法というわけではないのです。 

 今の自由研究は、かつての試行錯誤をしながら進める形を失っていて、 
本やインターネットで紹介されている実験や観察を、書かれている通りにやってみる、 ただ「確認する」ものになってしまっているのです。 

だから、プログラミングと言う言葉で、新たに試行錯誤をして 
現象を確認しよう、発見しようという学習を表現しているに過ぎないのです。 
 学習指導要領では、恐らく、現象を確認するに当たっての手法や段階を予想させ、 
現象に応じたチャート、つまり、アルゴリズムを構築できるような力を付けさせたいのでしょう。 

 ただ、これは強制するのではなく、 
教師側には見守るスタンスが求められるのではないでしょうか。 
決して、結果を求めない。上手くいかなくても、全然OK。 

「好きこそものの上手なれ」と言う言葉があるように、 
「なんでやねん!??」と、興味を持ってくれたらその授業は大成功!ってね。 

 かく言う私も、ファミリーベーシックをきっかけに、 
小5のときから実際にパソコンでプログラムを独学していました。 
ファミコンみたいなゲームを作ってみたかったから。 
今考えると、BASICながら、 

FOR I=0 TO A 
B=A+I 
IF B>C THEN D=RND(B)+I 
STR=STR+D 
NEXT I 

なんて、小学生のくせに理解できてたのがすげーなって、今でも思います。 
ソレが高じて、BASICマガジンやOh!Xとか 
雑誌で食い入るように研究したものです。 
今では16ビットまでなら、C言語やマシン語もOKです(TT)<時代錯誤 


 けっきょく南極、自分で身につけたその力は、今の仕事にあまり生きていませんが、 

ビジュアル機器やソフトの仕組みは、子供ながらに理解できましたし、 
今でも通用する知識なので、よかったかなぁと思っています。 

プログラミング教育… 
アルゴリズムに興味を持つきっかけ作りと言う意味では、 
かなりポテンシャルを秘めた教育と言えるのではないでしょうか。 

まぁ、うまくいくかどうかは、現行の授業時数と先生方の力との兼ね合いですね。 

……教職復帰しようかなぁ…(w