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tampaku

ブログをこちらへ引越ししてきました。 教育現場で感じたり思ったこと、 ニュースに対する考えなどを書き綴っていきます。 当面は、過去のものをアップしていきますが、 随時、書いていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします♪
絵を描くことが大好きです。図画・工作の授業は、こちらが楽しんだ感じです。 学年・学級通信の挿絵も自分で描いた物を使っていました。制服や体操服など、学校に合わせた絵になるので、保護者は勿論、おじいちゃん、おばあちゃんまで読んでくれます♪ イラストACさんで、無料でダウンロードできますので、印刷物を作るときには使ってみてくださいね☆

このサイトは、学年・学級通信や掲示物を作るのに便利なイラスト集です。 版権フリーの無料ダウンロードなので、重宝しますよ♪ 私の絵も「たんぱく」というPNでアップしてます。良かったら使ってみてください。


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2017年3月

2017年3月31日 (金)

さぁ、新年度!

 さぁ、新年度が始まります。4月。
今年度は4月3日スタートですか。

校長から新たに受け持つ学年・学級,校内分掌が発表されますね。

3月のうちに、内々に伝えられてはいるのでしょうけれど、
改めて身も心もピシッとなる一日になると思います。
たまに、「えぇ?!聞いてないよ!!」って発表もあります♪

 始業式まで数日しかありません。

転勤された先生は、初日から自治体教委の辞令に時間を費やされることと思いますが、
2日目からは更に闘いを強いられますよ。

 担任の先生は、前担任からの子どもについての引継ぎをしたり、
新たな書類を作成したり、始業式に配る学年或いは学級通信の作成をしたり、
教材選定(どの業者のどのドリルを採用するか、そんなテストがいいか、どの資料集を使うか)

をしたり,新しい教室の掃除や整頓をしたり,かなり動き回ります。
備忘録の作成や、時間割の設定など、職員会議の決定を元に設定していきます。

しかも、転任してきた先生は、
その学校について右も左も分かりませんから、神経をすり減らします。
特に初日は。お昼ご飯は持参か注文かなんてまで(w

 初任の先生は、言わずもがな。
「分からないことは聞いてね。」と言われても…。
分からないことが分からない…のですから、何も出来ないのですよ。

 そんなこんなで、先生方にとって、春休みといっても休む時間さえありません。

それでも、どこか楽しい気分になるんですよねぇ。4月って。
新しい出会いに、わくわくドキドキします。

2017年3月30日 (木)

いまこそ、子どもに任せるべき!家の門番。

 最近、「働きやすい環境を整えましょう」という、
社会的な取組の一つに、学童保育というものがあります。

学童保育とは、放課後、家に帰ったときに一人で留守番が出来ないとか、
子どもだけにしておくのは不安だという、
親の気持ちが強く反映されて発足した、所謂、小学生版保育所。
共働き世帯の救世主とも呼べるサービスです。

そこでは、指導員と呼ばれる大人が宿題を見たり、遊び相手になったり、
保護者の仕事が終わるまで面倒を見てくれる施設です。
ちょっと本格的になると、児童指導員任用資格を持った指導員が活躍しています。

 ですが、我が子が知的に、情緒的に障害を持っていたとしたら…。

そう。
学童保育に行く子ども達の輪を意図も簡単に乱してしまいます。

指導員も、障害を持った子とそうでない子の拘わり方に差を付けるわけにいきません。
ですから、指導員はどうしていいか分からなくなることが多いのです。
だって、資格と言っても教員のように指導について専門的に学んだわけではありませんから。

 そこで、最近多くなってきている、日中一時預かり保育、
放課後デイサービスという施設が活躍しています。管轄は自治体の福祉課です。

これらの施設は、障害を持った子どもを受け入れ、
学童保育と同じように、親の仕事が終わるまで、
また、親の子育て休息の時間を確保することを目的をして言います。

 ただ、日中一時と放課後デイサービスでは違いがあります。

日中一時では、遊びや学習の時間、おやつの時間など、
学校と同じように、生活の中で力を養う活動が行われます。

一方で放課後デイサービスでは、学習を重視しています。
所謂、塾といったところでしょうか。

 但し、自治体がそれ相応と認めた場合ですが。

いづれにしても、施設に通う子どものみんなが、
何らかの障害を持っているので、トラブルが耐えません。

この事業が社会に出てきてまだ数年。

中には、学校教員経験者や特別支援学校教員経験者もいますが、
知的・情緒の障害を理解している指導員もまだまだ不足しています。

 ですから、本当にその子を理解することが難しいのです。
結果、恫喝することで言うことを聞かせるという、
全く効果のない指導に陥ってしまうことが多いのです。

 ここで大事なのは、そういったサービスに子どもを預ける保護者に、
どんな願いがあるのかということを明らかにする必要があるのではないでしょうか。

 ただ単に、自分(親)の自由な時間が欲しい?
 色んな子と触れあって、自我を確立して欲しい?
 色んな学校の子と友達になって欲しい?
 
等々。

 一番いいのは、子どもが留守番できること。
「鍵っ子」という言葉は、いまや死語なのでしょうか?

我が子に我が家を任せる使命を与えてみるのも、
意外といいかも知れませんね。
 

2017年3月29日 (水)

子どもには、担任の先生との相性があります

 担任とのウマ、つまり、相性というものがあります。

ただ、子どもの目から見ると、自分と先生の1対1の関係ですが、
先生の側からすると、自分と子ども達の1対多数なのです。

これは、担任も保護者も受け入れなければならない事実です。

ならば、担任との相性があまりよくないということが、
数人に発生してしまうというのは、防ぎようのない事象と言えます。

多数の子ども達が担任と相性がよくないと感じるならば、
学級経営に問題がありますよね^^;


 もし、我が子が担任に不満を抱いたら…


その場合、他の子はどのような気持ちを抱いているのか、
保護者間で聞いてみましょう。
我が子だけなのか、他の子も同じ様子なのか。

我が子だけならば、担任と話し合うことが一番の解決方法です。
担任は、好んでその子をそんな気持ちにさせているわけではありません。
何かしらの行き違いや思いのすれ違いなどが、きっとあるはずです。

忙しくて、その子の話を聞いてやれなかったことが
たまたま数回続いてしまったとか、
他の子も悪いのに、その子だけ叱っていたとか…。

とにかく、気が付いたらその度、担任と話しましょう。

それだけで、保護者の気持ちも軽くなるし、
先生も次の日から気をつけてくれることでしょう。

 一番してはいけないのはいきなり学校の管理職に意見することです。
教職員間で、「モンペ」のレッテルを貼られてしまいます。
下手をすれば、学校評議委員や地域住民にあっという間に広がってしまう
リスクがありますから。親が悪者になってしまいます。
 また、モンペの子どもは、先生にとっては疎ましく感じるものです。
先生だって、人間ですから。つまり、一方的な抗議は子どものためになりません。


 人と相性が合わないことなんて、人生でいくらでも経験することです。


もし、担任とのウマが合わなければ、
子どもにとって、絶好の修行の場と考えてみませんか?
もちろん、裏では、少しでも子どもが気持ちよく生活できるように、
保護者と担任は話合を持つ必要がありましょう。


 こつこつと、改善に向けてもがいてみましょう。
先生も真剣に協力します。意見に耳を傾けます。


3学期、我が子が修了式の日を
笑顔で迎えられるように。

2017年3月28日 (火)

入学に向けて

 子どもが新学期をスムーズにスタートを切るには、
何でもいいから秀でたもの、得意なものをもっているといいという話があります。
つまり、人に認めさせる武器を持つといったところでしょうか。

 例としては、

字がきれいなこと(硬筆・習字)。
学力が高いこと(計算力・識字力・言語能力など)。
楽器ができること(ピアノ・ヴァイオリンなど)。
運動ができること(水泳・体操・ボール運動・陸上競技など)。

子どもって、競いたがる本能を持っていて、
子どもって,残虐なもので自分より能力が下だと察知するや否や、ソイツを見下すもの。
何一つ武器のない子どもは,見下され,肩身の狭い思いをすることが多い傾向にあります。
見下されたと感知した子どもは、
3学期まで、そのプレッシャーとの戦いを強いられます。
喧嘩が強かったり、口が達者ならば、跳ね返すことができるのだろうけれど、
両親の愛情いっぱいにぬくぬくと真っ直ぐに育ってきた子どもには、高い壁となり得ます。

 つまり、この子は運動では頼りになる。この子は音楽が強い、
このときはアイツに任せとこう…こうなったらオレの出番だ…
などなど、子ども達の中で、お互いに力を認め合い頼りにしたりされたりする…
子ども世界の中での持ちつ持たれつの関係が築かれていくわけです。

 その中で、運動系は強いです。
学力とは違い、目で見て「アイツ、すげぇ。オレには勝てねぇ!」と分かるから。
頭がちょっとくらい悪くても、
例えば、足が誰よりも速ければバカにされることがない。
それどころか、頼りにされるもの。 水泳、サッカー、バスケ、体操も然りです。

文科系もいいですね。
運動が出来なくても、字が上手かったり計算が速かったり、
ピアノが弾けたりすれば、まず、見下されません。
運動バカには抵抗すら出来ませんし(w

 マスコミで報道されている、横○式…Bud○y…といったスパルタ式の
幼稚園に通うといったことまでは必要はありませんけれど。

 私自身は水泳・体操・サッカーに加え、硬筆も習っていました。
まぁ、口が達者だったって言うのもありますが
お陰でクラスの中心的な存在を担うことが多かったです。
今思うと、「なんや、こいつ」って思われるような
生意気な子どもに過ぎませんでしたが…^^;

 兎にも角にも、自分の中に「コレだけは他のヤツらにも負けない!」という
柱を何か1つ、持たせてあげることが、
心地よく(言葉は悪いですが、無難に)学校生活を送らせてあげる手立てになるのかなぁ…
なんて思ったりします。

2017年3月26日 (日)

頼むぜ、おい。

 学校の先生は、ただ授業をしていればいいというわけではありません。

小学校ならば45分間、中高ならば50分間、
1つの「めあて」を立てて行う必要があるのです。
この時間で子ども達に分かってほしいこと、身につけてほしいこと、
気付いてほしいことを明確にして臨みます。

 さぁ、平成29年度。

研究授業を行う学校の先生方。
ほとんどの先生が、該当する学年或いは教科を担いたくないと
思っていらっしゃるのではないでしょうか。

 研究授業というのは、
その学級の子ども達に相応しい学習の流れと言いましょうか、
子どもの反応を予め予想して、その反応に対してどのような助言をするか、
どのように導いていくかということを考えた、
フローチャートみたいなものと言えましょう。
計画的に、教師の意図する結論に導いていくという感じです。
そのために「学習指導案」、いわゆる計画書を用意しなければなりません。
この用意が教師にとって苦痛なのです。
本当のことを言えば、毎時間それを書く必要があるのですが、
現実としてそれは難しいですよね。
だって、1つの指導案を書き上げるのに何時間も要し、
年間約200時間以上分の指導案を書き上げる時間なんてありませんからね。

 全国・地方・都道府県規模の研究授業を任されたならば、
2~3学期に実施する学習なのに、1学期からその学習指導案を書き、
教職員全員で、あ~だこ~だと喧々囂々、検討会を行うわけです。

それを元に書き直し、先生達が子供役をして模擬授業!
その結果を元に、更に書き直しするわけです。

 そんな過程を通常の仕事をしながら行うわけですよ。

その上に研究授業をすることになった先生は、
貧乏くじを引いてしまったと思うしかありません。
だって、ソレをしたからと言って何の手当が付く訳でもないし。

 ただ。

研究授業をすることにおいて、
自分の実力アップに繋がるとプラスに考えるか、
給与は変わらないのに仕事量が増えただけと、マイナスに考えるか。


 私の場合ですけど、求められたら受ければいいと思っています。

私は、県代表で体育の研究授業を公開しましたし、
地域ブロック代表で国語の研究授業を公開しました。また、人権教育も。

 本音としては、私ごときの授業でいいんだな?!!マジか?!
だったら、構いませんよ…というスタイルでしたね。

 みんなが面倒と思うことを率先して引き受ける…。

これは、どんな職業でも、信頼を勝ち取るためには必要なことではないでしょうか。

正直なところ。
公立学校の先生って、適当に流していても安定した収入を得られる職業です。
そう簡単にクビにならないし。

民間企業側から言わせてもらえば、先生方。
もっともっと、授業の展開の研究に積極的になって欲しいものです。

2017年3月25日 (土)

先生の春休み

 さぁ、先生に春休みがやってきました!
でも、喜んでなんていられません。

新聞にも先生の異動が発表されました。
春・夏・冬休みの中で、一番休めない休みだからです。

 転勤する先生は、急いで指導要録を書いて、
教室と職員室の自分の席を掃除して、次の学校の引継ぎをする、
地域を回ってのあいさつ回り。次の学校の地域でのあいさつ回り。
任されたクラスの学級開きの準備などに勤しみます。

 留任の先生も、同じように指導要録を書いて、
教室と職員室の自分の席を掃除して、次の先生に引継ぎをする、
任されたクラスの学級開きの準備などにてんてこ舞い。
入学式の準備も並行して行いますね。

 忙しいのです。とにかく色々と。

特に、新1年生の担任になった先生の忙しさといったらもぉ…!
さらに転任先でいきなり1年担任になったら…あぁ…(TT)

って(w


 がんばれ、先生。
でもさ、いくら忙しくても、新たな出会いにどこかワクワクしません?

この次期独特の楽しみなんですよね~。

2017年3月24日 (金)

道徳は評価できません。

■「心の評価」悩む学校=教師「基準なく難しい」―通知表記述で忙殺も・道徳教科化 
(時事通信社 - 03月24日 16:01) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4493355 

 ついに来ましたね。このときが。

道徳が教科化されるときが。 分かってたけど。

教科となれば、 
当然、生徒児童にの通知票あるいは、指導要録に 
ちっきりと表記されることになります。 
総合的な学習の時間と同様、 
出来るようになったことや努力したことを 
数行で記入することになるのでしょう。 

ここで現場が疑問視するのは、 
考えが多様化するこの時代、児童生徒の心をどのように評価すべきかということ。 
つまり、わたし(教師)が基準でいいのでしょうか?!ってこと。 
基準が無いわけではないのよ!!? 

小3の国語で「みんなちがってみんないい」と賞賛している一方で。 
基準があるなんて…ねぇ…。 

ただ、「日本人としての礼儀や思いやりの心」などは、 
評価「基」準として採用するべきでしょう。 

例えば、 
   困っている友達がいたら、優しく声を掛けてあげたり協力してあげたりする 
  考えを持っていればいい(仲よし、助け合い)。 
   野球の試合でエラーをしても、腐らずに、しっかりと目標に向かって 
  練習する態度を持っていればいい(節度・節制・自立)(希望・勇気)。 
   明るく元気に挨拶ができる(礼儀)。 
などなど。基にするべき考えは必要です。 
学習指導要領にも、「日本人として」という表記がありますし、 
今後も、安全で平和な日本生活・文化を築いていくためには当然だと思います。 

 道徳の時間は、ハッピーマンデー制度が出来たときから、 
月曜日を避けて設定するようにと、文科省から各学校に通達がありました。 
きっちり、年間35週、確実に35時間授業を行えるようにするためです。 
今やほとんどの学校、学級でなされているはずです。 

 その35時間で、子どもの心や価値観を評価できますか? 
甚だ疑問です。道徳の授業で指導したことが身についているかだなんて。 

 心は、時間をかけてじっくりと育つもの。 
 価値観は子どもの成長段階で徐々に変化していくもの。 

文部科学省の役人共は、そこを理解できているのでしょうか。 

 教科化されるのならば、今までに所見として記述していたことが 
道徳の評価になってしまうのですから、 
所見欄は削除してもいいのかもしれませんね。それでプラマイゼロだ♪ 

 ココだけの話、私が現役の頃は、35時間を超えていました。 
社会に出て、人として最低限心掛けて欲しいことを伝えたかったから。 

 ①会釈の重要性。 
  目上の人の前を通る時は、頭を下げよう。 
  簡単なこの行為だけで、相手は気持ちよくなる。 
  レジでお釣りを渡されてちょっと頭を下げるだけで、 
  店員さんもモチベーションアップです。 
 ②箸の持ち方、椀を持って食事をすること。 
  命を頂いていることに対する、動植物への畏敬の念を持って欲しい。 
  食事の仕方で人の全てが分かります。いくらイケメンでも、 
  肘つきで食ってる姿を見ると、幻滅しますよね。 
 ③第三者へ迷惑を掛けないこと。 
  ごみのポイ捨て。誰かが片付けなければならない。目に見えなくとも、 
  誰かがその始末をしているということを認識して欲しい。 
  バレてる、バレてないなんて考えないで、正しいことをしましょう。 

な~んて、普段ならば、学級活動の時間で教えるべきことだけれども、 
道徳として、心の学習として行ってました。 

 教え子達…道徳の学習は活きているのかなぁ☆いや、活かしていてくれ!!

2017年3月23日 (木)

これは重大な問題ですなぁ。

お友達が発達障害だったら?子どもに教えておきたい、”発達障害”のとらえ方と接し方 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=132&from=diary&id=4490849 

 発達障害には色々なパターンがあります。 
注意欠陥・多動・自閉・アスペルガー・学習障害…などなど。 
いづれの障害にしても、その子にしてみれば、自分は自分でしかないということです。 

一昔前ならば、 
「この子の親の顔が見たいわ!」とレッテルを貼られる子どものことですね。 
最近では、色々と教育現場の事情がありまして、 
医者も面倒だから「広汎性発達障害」と書いておけばいいだろうというだけで、 
診断を下してしまうわけです。 
広汎性ですから、すっごく広い定義で曖昧で…とりあえず発達障害がありますよという意味。 
結構いい加減ですね。医者なのに。高給のくせに(w 

 この記事の話題は主に注意欠陥・多動、所謂、ADHDというヤツです。 
学校で言えば、情緒の特別支援学級に属す子ども。 

書く文字がすごく雑だったり、文字の書き順はバラバラ。 
視覚に入るものに引き寄せられるように、授業中に立ち歩く。 
友達の遊びに割り込んで、自分のルールで遊んでしまう。 
ちょっとしたことで感情が高ぶって、暴言を吐いたり暴力を振るう。 
などなど。 

 そんな子を、周りの友達が見たらどう感じるでしょうか。 

障害を持った子の周りには友達はいなくなるというのは必然と言えましょう。 
いくら、担任をはじめ大人が仲良くするように諭したとしても、 
周りの子達にとっては、自分が被害者ですから、距離を置こうとするのは、これも必然です。 

 ですが、障害を持つ子は、抑制が出来ないんです。我慢が出来ないんです。 
それは、意志が弱いとかそんなお説教的なことではなくて、脳の分泌液が足りないだけなんです。 
つまり、生まれつきなんです。 

目が大きいとか小さいとか、 
背が高いとか低いとか、 
おち○ち○が大きいとか小さいとか。 

それと一緒だと思ってください。 
たまたま、生まれてきた子の脳の分泌が足りないだけなんだと。 

 解決方法として、その子を支援できるのは、 

1 親がその事実を真正面から受け止めること。 
  つまり、学校から特別支援学級に入ることを提案されたら受け止める。 
  勿論、本人の意向を優先させてあげてください。みんなと一緒がいいというのなら、そうしてあげてください。 
  ただ、学級懇談などで、他の子の保護者の方に「こういう子なので…よろしくお願いします」と、 
  一言紹介しておくといいでしょう。そうすることで、周りの理解も得られます。 
2 病院でその脳の機能を補う薬を服用すること。 
  これは相当効きます。冷静な判断が出来るようになります。が、副作用もありますから要注意。 
  お医者さんと充分に相談してください。上手くいけば、通常学級でも全然OK! 
3 子どもが間違いを犯した場合、どうすれば良かったか考えさせたり、解決方法を教えたりすること。 
  これは大事です。突発的な感情で行動を起こしますから、こういう場合はこうすればいい、と。 
  手段を身につけさせるのは非常に効果的です。ただ、「我慢しよう」などと、曖昧な言葉で教えるのではなく、 
  「友達をたたきそうになったら、グッと手を握って5秒数えよう。」などと、 
  具体的にイメージできる言葉掛けをしていくことです。 
4 周りの子供達に、障害を持った子は、どんな力が足りなくてその力を補うために頑張っている、 
  それに協力して欲しいと伝えること。 
  「○○くんは、カッときたら思わず人をたたいてしまうことがあります。 
   でも、○○くんは、そんなとき、たたかないように一生懸命考えようと頑張っています。 
   もし、たたかれたら、先生に教えてください。先生と○○くんで、みんなともっと仲良くなれるには、 
   どうしたらいいか、もっともっと考えるから。よろしくね。」 

など。子ども社会は子ども達の中でしか築かれません。大人がいらない手を出すべきではないと考えています。 
上手に子供達を導くのです。それが指導というもの。怪我をしないようにということだけ、注意してあげましょう。 

 (ただ、発達障害というのは、ADHDに加えて知的が若干あるということなど、本当に幾通りもパターンがあるので、 
  その子に応じた支援が求められますね。) 


 診断が出ようが出まいが、その子はその子。 
その子に応じた、最善の支援を施すことが我々大人の務めですね。 

 子供達の幸せのため、一肌も二肌も脱いじゃいましょうよ♪

2017年3月22日 (水)

いいじゃん、別に。

■盗撮教諭の免職取り消し、停職6月に 静岡県人事委裁定 
(産経新聞 - 03月22日 15:28) 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=4489614 

 教師っていう職業は、一体何なのでしょうか。 

勉強を教えること?生徒の技能を高めること? 
だとしたら、盗撮して処分を受けても問題ないでしょう。 
ただの個人の嗜好の問題だから。 
仕事に対する意欲や力があれば問題ないわけです。 

 一方、雇う側から考えて見ましょう。雇用者は、自治体教委です。 

さて、こういう人物を信頼第一の学校の仕事に就かせたいと思うでしょうか。 
生徒もそんな先生に教えてもらいたいと思うでしょうか。 

 ここが焦点になるのでしょう。 

 私としては、再チャンスを与えてもいいと思っています。 
人間、人生で一度や二度は間違いを犯すこともありますよ。 
そこで本人が猛省して、二度と同じ過ちは繰り返さないと意思表示しているのならば。 

 日本社会の考えたい問題の一つとして、 
再挑戦しにくい労働環境にあるということが挙げられます。 

 日本人って、イメージって重要視しますよね?例えば、チロルチョコを盗んだとしますよ。 

その容疑者が、店のパートのおばちゃんだったり、無職の人だったりすると、 
報道される可能性が低いのですが、公務員だったり先生だったり、芸能人だったり 
スポーツ選手だったりすると、イメージが先立って報道、公表されるわけです。 

 メディア(テレビ・新聞・雑誌・ネット等)で叩かれるのです。 

つまり、職業によって差別されている…。そんなイメージなんです。 
犯罪は犯罪。どんな職でも関係ないはずです。 

 今回の場合は、盗撮が教職としてどのような影響を与えるか。 
盗撮された被害者との示談が成立してさえいれば、問題ないと思います。 

生徒の中には、自分の力を引き出してくれる先生であるのならば、 
問題視しない子もいるでしょう。 

 雇用者が、間違いを犯した人物のことを信じ、受け入れるならば、問題は無いのです。
ただ、2度目があれば、厳重に処分するべきですが。 

 どんな職業であれ、「これからは、肝に銘じて頑張る!」っていう人ならば、 
犯罪者、犯罪者と囃し立てないで、再スタートの出来る機会が得られる社会でありたいものですね。 

 しくじり先生、歓迎しませんか?

2017年3月21日 (火)

何を優先させるか。

ローマ字「ち」表記で児童混乱 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170321-00000044-mai-soci

 子どもの立場からすると、訓令式のほうが覚えやすい。 
 大人の立場からすると、ヘボン式のほうが実用的だと。 

ここで、求めたいのが、ローマ字を小3で学習するに当たってのめあて。 
学習するのは、小学3年生。 
英語を習っている子もいれば、疎い子もいる。つまり、ごちゃまぜ状態。 

 そんな中で、何を優先するかということ。 

私だったら、 
「ローマ字で言葉を書くことがおもしろいなぁ」 
「もっとローマ字で言葉を書いてみたい」 
と、子どもに思ってもらえるようにしたい。ローマ字に興味をもたせること。 

となれば、訓令式のほうが、小3には覚えやすいでしょう。 
規則的に子音と母音が並んでいるのですから、それを繰り返し覚えればいい。 

 そこへ、へんな意識を持った大人が、 
「いや、英語の学習もあるのだから、 
 ヘボン式を優先させないと!そっちのほうが実用的だ。 
 そもそも、"ti"なんて、「ち」じゃなくて「てぃ」だろ。」 
となると、英語嫌い予備軍を産み出すことになるわけ。 

たかが7~8歳の子どもだよ?国語さえ覚束ないのに。 
そんなん押し付けなくてもいいじゃん?? 

 まずは、訓令式を覚えさせて、意欲満々の児童を育てて、 
そのあとで、例えば、 
「"chi""fu"sha"などと書く方が、もっと英語に近付くよ。 
 福知くんは、ローマ字だったら"Fukuti"でOKだけど、 
 英語じゃぁ"Fukuchi"と書くことが多いんだ。 
 余裕のある人は、こういう書き方も覚えていこうね!」 
程度でいいのではないでしょうか。 

 押し付けでなく、気持ちよく楽しく学習できるようにしていくこと。 
それが、教師・大人の役割なのではないかと思います。